まず危険予知、危険回避という事について。
蒟蒻ゼリーを喉に詰まらせて亡くなる事故がありましたが、
これはスプーンで食べさせるなりの対策をすれば防げた事故で、
恐らく多くの母親は「あげた親が悪いよ」と思った事と思います。
製造中止だのという話もあがりましたが、
危ないと言えばお餅もうどんも魚の骨も、
アレルギーなんかの方がもっと危ないです。
食べ物以外でも小さい子供にとっては楊枝も鉛筆も割り箸も、
身震いするほど危ないものですが、
それらを全部排除するなんて無理な話ですよね。
また幼児の車の事故も親が防げます。
目を離さなければ、手を離さなければ良かっただけです。
子供を例にとると分かりやすく親に責任が求められますが、
大人になってからだって、危険や誘惑だらけです。
自分の責任において、自ら正しい判断や行動をしていかなければ、
安全には生きられないし、永続的に安定した生活を手に入れる事は
出来ないんだと思います。
昨今の不景気や失業問題についても、
自責の考え方で行動しないと、今回ばかりは乗り切れない。
まずます他に責任を転嫁してる場合じゃない世の中になってきたと思います。
業績の悪い会社も、頼りない旦那さんも、出来の悪い奥さんも、
選んだ責任は全て自分にあり。
文句や愚痴をぶちまけても、多少すっきりする位で全く解決はしません。
自分の力では防ぎようのない境遇もあるのかもしれませんが、
大抵は自分の考え方や生き方が招いた結果として
今の状況があるのだと思います。
自分がどう考えて、どう決断してきたかが、
自分の人生の全てだと思うのです。
「将来の夢や目標を持て」とはよく言われる事で、
それにまつわる訓示が世の中には溢れています。
そこでその通りだと思い、自分の夢を探したり
目標を設定しようとするが、なかなか見つからない。
なんとか設定して掲げてみるものの、
いつの間にかそんな事忘れていつもの日常に埋もれてしまう…
実際はこんな人が多いのではないでしょうか。
夢はいつの間にか抱いて、だんだん気持ちが強くなっていくようなものや、
本心からわーっと湧き出るような発生の仕方でない限り、
その効力はひじょうに危ういものだと思います。
夢が見つからないなら目の前の仕事に全力投球するしかないと思います。
力がついてから初めて見えて来るビジョンもあるのかもれませんし、
夢も変化を遂げて行く場合もあるかもしれません。
私も社会に出たばかりの事はひじょうにぼんやりしていましたし、
仕事をはじめて18年程経って、
今はその当時とは全く別な事を考えています。
私はビジョンを持つ事を否定しているのではありませんが、
「どうせないなら、つべこべ考えるより全力で仕事する」方が
結局近道であるような気がします。
がむしゃらに頑張る中に、気付きや学びがあって、
自分自身が成長していくことが自己実現へのステップだと思うのです。
頭で考えるよりまず行動が大事です。
夢がないと動けないのか、
ビジョンがないから本気になれないのか、
準備が出来ないとスタートできないのか、
それでは結局やる前から言い訳を考えているみたいですよね。
まずは「考えながら走る」ことが大事だと思います。
仕事のできる人は、自分の所属する部署や直接関わる仕事
以外のこともよく知っていませんか?
たとえばできる上司は、他部署で起きたクレーム、
あっちの社員が話している内容、部下のコーヒーや洋服の好みに至るまで
何でも知っている…。
このように、自分の仕事に直接関係のないことでも
知ることができるのは、視野が広いからです。
仕事をしていると必ず、調整しなければいけない事が発生しますので、
色々よく知って、問題を整理して、
どうするかを決定していく作業が不可欠です。
営業の言い分と制作の言い分、上司と部下、男性と女性、
お客様の要望と会社の決まり、等々。
仕事ではつり合いを考えたり、折り合いをつけていかなくてはいけない事が
頻繁に発生します。
そして最善の判断をするには、正確な情報が必要。
だから視野が狭いのでは話にならないのです。
視野が狭い人は、「木を見て森を見ず」で、
小さなことや自分の主張にこだわりますが、
それがいかに狭い視野に基づいた考え方であるかに気付いていません。
病気だと自覚をしなければ医者に行かないように、
まずは自覚しないと治るはずはありません。
自分ってどうなんだろう?本当に大丈夫?案外視野が狭かったりして?と
セルフチェックをすることを是非おすすめします。
つくづく思いますが、これが出来ない人が多いように思います。
このコラムを読んでも「そうそう、そういう人いるいる!」と思いはするが、
自分は違うと思ってしまう。
分かっていてもなかなか治らなんですから、
そう思わなければ出来るようになる道のりはすます遠くなるというものです。
コーチングに関する本を読んでいたら、ある章で
「これまでの人生で他人から言われたほめ言葉の中で、
今でも覚えている最高のほめ言葉は何でしたか?」という問いが出てきました。
思い巡らせ、私にはあるシーンが浮かびました。
私が入社間もない頃、当時は制作行程がアナログでしたので、
線をひくのにロットリングという先の細いペンを使っていました。
ある日そのペン先が詰まってしまい、解体してインクが出るように
調整しようとしていた時の事。
インクのカートリッジはタテに置くには不安定、横にするとインクが流れる、
一瞬考えて私は目の前の本棚にセロテープでくっつけて、
本体の掃除をはじめました。
その作業を横でなんとなく見ていた当時の専務が、社長に
「どうするのか見てたらタテにテープでくっつけた。
あいつ頭いいかもしれないぞ。」みたいな事をぼそっと話しました。
これまで色々な事がありましたし、多少賞賛を頂く機会もありましたが、
一番印象に残っているのは?と改めて考えると
そのシーンしか浮かんできませんでした。
恐らく言った本人もとっくに忘れているでしょうし、
今の私がそう言われても何も感じないでしょう。
しかし入社間もない、全く仕事に自信のなかった当時21歳の私にとっては
恐らくすごい作用があったのだと思います。
「自分が認められている、期待されている」という充足感が、
当時の私にとってはかなりのエネルギーになったのだと思います。
上司たるもの、10年以上たっても忘れない、深く心に刻まれるような言葉を
かけてあげられたらいいですよね。
3歳の息子は、シャンプーの時シャワーを頭からかけると必ず泣きます。
坊主頭なのでシャンプーの時間は短く、終わればすぐ泣き止むのですが、
「目に入らないように上手にかけてあげるから大丈夫だよ。」
「すぐ拭けるようにタオル用意してあるよ。」
「泣いても止めないよ、だから泣かないの!」
「男でしょ!」
「泣かないで出来たら格好いいね!」
どんな言葉でチャレンジしても、絶対泣くのを止めませんでした。
しかしある日のお風呂で突然「もうすぐ4歳だから泣かないから。」と発言し、
その日を境に本当に泣かなくなりました。
これぞ「自覚」の芽生え。
もうすぐ誕生日という事で恐らく保育園でも「お兄ちゃんだね」とか
そんな話がよく出るのだと思います。
そして自分でもう泣かない方がいいなと考えたのだと思います。
この息子のエピソードを通して、しみじみとこれは全てに通じるなあ、と思いました。
子供の躾も、勉強も、部下指導も。
周囲にできるのは「自覚を促す」程度なのだと思いました。
「こうなりたい」という強い思いが本人になければ、成長することなど絶対ない訳で、
現状に問題も感じない、向上心もなければ、
周囲の指摘やアドバイスなど耳に入る筈もない。
小さい子供が折り目正しい生活をしたいと思う筈はなく、
だから口うるさく躾しようとしても何も実らないのだと思いました。
反対によりよい仕事を求められる大人としては、
置かれてる立場や自分の能力などをよく知って、
どうすべきかを「自覚」できるようになりたいものです。