メイドインジャパンを世界へ。
熟練工の魂が作り上げた部品の一つ一つが、
日本ブランドの価値を、今一度呼び起こさせる。
■祖父の遺言に導かれて
祖父は鹿沼で、ホットカイロに使用する鉄粉を造る仕事をしていた。昭和34年、高度経済成長の波に乗って、製造業へと以降。そんな祖父にいつも言われていたことは、「いずれ俺の会社はお前に継がせる」という言葉だった。
鹿沼の(有)エヌ・エステクニカル、代表取締役の森田さん。元々都内で、ホテルマンや不動産の仕事に従事していた。そんな折り、祖父の死の知らせを受ける。奇しくも祖父の命日が、森田さんの誕生日と重なった。
「その頃やっていた不動産業も波に乗っていたので、かなり迷ったんですけど、これは何かの啓示だといたく感じまして、製造業に転職することを決めました。」
とはいうものの、右も左も分からない未経験の業種。まず最初に職業訓練の「NC旋盤コース」を受講する。半年間猛勉強を重ね、プログラム通りにものが出来ていく面白さを実感した。その後経験を重ね、24歳である自動車部品メーカーの求人に応募、半年間勤務した。
「その頃は景気が良かったので業界自体は好調でしたが、自分がものづくりの世界で、どこまで出来るか試してみたくなったんです。」
祖父が遺してくれた古い機械を全て出し、3人体制でスタートした。同業種で会社を経営していた叔父もかなり協力してくれた。
「祖父が亡くなってしばらく経ってその偉大さに気づいたんですけど、有り難いことにうちの顧客の半分は祖父の代からのお客様なんですね。最初は叔父なんかに、2〜3割の技術は教えてもらって、残りの7割くらいは試行錯誤しながら、自己流でした。」
失敗を何度も繰り返しながら、徹夜で少しずつ歩を進めていった。夜中に帰宅し、深夜3時に再び気になって工場で作業を再開することも度々あった。徐々に実績が認められ、3〜4年後には信頼を得るようになった。
「段々欲がでてきたんですね。人も機械も投入して、もっと大きくできるんじゃないかと。その頃叔父の会社が『超微細加工』で成功していたので、うちも真似てみようと手を出したんです。」
ところが結果は、1年ほどやって失敗に終わった。数千万円のマイナスが出た。
「でも諦めてはいけない、と原点に戻りました。叔父にも叱咤激励されましたね。」
復活を祈って次に着目したもの、それが、現在のエヌ・エステクニカルの核となっている「難削材(なんさくざい)」だ。
「字の通りやりにくい材質なんで、他社が嫌がる部品なんです。でもうちはそれに着目して、研究を重ねて製造を可能にしました。自信を持って、各種難削材を造っている、と言えるようにまでなりました。」
■若手へ伝承される、熟練の技
「悔しかったことといえば、若さがネックになることでした。20代の頃は信用してもらえないことも多かったです。今は逆にそれを強みにすることも出来ますが、今に見てろ…と思いながら、がむしゃらに頑張ってきました。」
今、エヌ・エステクニカルを支えているのは、若さだけではない。その対極にあるのは、昔からの熟練の腕を持つ60〜70代の職人達だ。
「職人の皆さんにはマニュアルはない。全て経験値から成るものです。それってすごいことですよね。現場では熟練職人と、20代の若手が組んで仕事をしています。」
当初は困難に思えたこの組み合わせが、今、功を奏している。若い新しい発想と古くからの高い技術力が融合して、製品レベルも、効率の面でも結果が出た。
「時代が変わりこのコラボレーションが本当に上手くいくようになったんです。数年前は休憩時間も各自バラバラに取っていましたが、今では休みまでみんな一緒(笑)。世代を超えて、それだけ息も合っているってことですよね。」
今は、「見て覚えろ」という徒弟制度的な時代ではない、と森田さんは語る。
「そういった昔ながらの頑固職人的な教え方だけはやめてくれ、と言ってます。同じ会社のチームメイトなんだから、知識や技術は共有するべき。60代の熟練工に、23歳の若い社員が技術を教わっている、いつの間にかできるようになっている事実が現場で実践されているんですよね。そんな光景を見る度に本当に嬉しい。細かい製造における力加減を密に教わっているんです。勤務が終わったら世代の離れている社員同士で夜釣りに行ったりもしている(笑)、笑っちゃうような事実なんですけど、コミュニケーションを取りつつもそうやって、ハイレベルな技が伝承されていることを誇りに思います。」
そんなエヌ・エステクニカルの求人募集広告には「楽しいものづくり」というキャッチコピーが使われるようになった。
「昔は社内の雰囲気が、受身だったんですよね。でも今は違う。社員間の雰囲気も改善されて、提案型に変わりました。こうした方がいいんじゃないか、という現場の声がやがて、小さな町工場を企業へと発展させていくはずです。」
■見直されるべき、ジャパンブランド
「以前、インドの方で日本製の血圧計を買いに来られた方がいました。中国や東南アジアなど、世界には製造業で台頭してきた国は多くある、でもやっぱりナンバーワンは日本製だと。にもかかわらず秋葉原全体を探しても、メイドインジャパンの商品は見つからなかったそうです。発注は日本なのに、多くの製品がメイドインチャイナや、メイドインベトナムなんですよね。海外での製造製品は確かに安い、でも性能では日本製に勝てる物はないと、海外の方は口を揃えて言うわけです。なんだか我々日本人の感覚は間違っているんじゃないかと痛切に感じた経験がありました。」
メイドインジャパン、それだけで海外ではブランドの価値がある。純正の日本製品が少ない、その事実を改めて突きつけられた。ものづくりに携わっている者である以上、その現実を見過ごすことは出来なかった。
「弊社は鹿沼の小さな工場ですが、メイドインジャパンの精神を忘れてはいけない。会社のキャッチコピーにも、『メイドインジャパンを世界へ』と入れることにしました。この言葉に外国の方はすぐ反応してくれます。それから、高度経済成長期に育まれた職人気質を忘れてはいけないですよね。日本人が忘れかけている、安売りしすぎる傾向にあるこの価値を創ってきたのが、当時第一線で活躍して、今は60代以上になっているかつての職人達です。こういった職人の立ち位置をもっと大事に確保していかねばならないと思います。」
品質、デリバリー、コスト。この3つの柱を万全に保持しておく、それがエヌ・エステクニカルが守り続けてきたもの。60代以上の現場職人達は言う。昔はドリルも研磨機もなかった。だが日本人は手先が器用で細かい作業に長けた気質で、ハイレベルで細密な要求に応えてきた。
「実際に、うちの現場の職人達はマニュアルがなくても、相応の細かい機械がなくても、要求のレベルが高い部品も今ある道具で造ってしまうんですよね。その熟練技のすごさには、未だに驚かされます。」
「刻々と状況が変わってきて、今、製造業関連の工場が急速に衰退している現状があります。でも、メイドインジャパンの安売りはしてはいけない。世界がこれだけ評価しているんだから、本物であることは間違いないんです。」
鹿沼の町外れにその工場はある。少数精鋭の工場で作られている部品の納入先には、名だたる大企業が名を連ねる。トレイに並べられた部品は鈍い光りを放ち、陳列されていた。メイドインジャパンのプライド。その小さな町工場は今、業界でも注目される存在となっている。
(有)エヌエステクニカルのHPはこちらです
http://www.nst-jpn.co.jp/
| | 2009.11.02 |
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