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vol.101 25KARAT株式会社 代表取締役 高野 幸雄さん

24に、更にプラス「1カラット」
宝石が持つ「非日常の幸福」を手頃な卸価格値で
お客様の普段づかいにも、届けていきたい
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■もっとジュエリーを楽しんでもらうために
こだわりたい


「例えば日頃ジュエリーを身に付けない方でも、まず手に取って、美しさだとか、非日常性だとかを感じ取ってもらいたい思いが強いんですよね。」
 東武宇都宮店の前にある、宝石市場は、25KARAT(株)が経営するジュエリーショップ。うたい文句は、「宝石店に並ぶ前の商品が、365日卸売り価格!」というものだ。代表取締役の高野社長に、お話しを伺った。
「元々うちの祖父が時計の卸商をやっていまして、祖父から3代続く商売人の家系に生まれました。宝石を取り扱い始めたのは、私の代からです。祖父も父も、仕事に一生懸命で厳しい根っからの商売人でした。」
 「今から思えば良い経験だった」と語る高野さんは25年前、東京都内の宝石を扱う会社で営業マンとして、全国を行脚してきた。朝は北海道、夜は九州入りというスケジュールの時もあった。1年のうち320日は日本中を飛び回っていた。
「時には畑のど真ん中で、青空市みたいな感じでセールスをしたことも…(笑)。全国のご当地の名産品を振る舞ってもらうこともあったりして、いい思い出も多いです。25年前だからコンビニがあったわけでもなく、田舎のエリアに入ってしまうと夜食を買いに行くお店もない。仕方ないから缶ジュースでお腹を満たして寝たりなど、若かったからこそ踏ん張れたのかもしれませんね。」
 時代はちょうどバブル期だったのも功を奏した。1日100万円の売上も高確率で達成できていた。
「豊かな時代だったから、頑張れたっていうのもありましたね。売るということにどん欲にもなれた。今の時代だったら絶対に経験出来ないことでした。ハードな環境ではありましたけど、景気がいい時に多少苦労を重ねてきた方が、時代が厳しくなった時に糧になりますから、本当にいい勉強をさせてもらったと思います。」

 都内の会社には7年間ほど勤務し、地元栃木に戻ってきた。そして父の経営している会社を手伝い始めた。
「初めて宝飾部門をたちあげました。今まで自分が取引させていただいていたのは、エンドユーザーであるお客様そのものでしたが、それがこの時から小売店様に変わりました。」




■良心価格で高品質な物が
支持される時代


「バブルという好景気のど真ん中を経験しているので、その頃から考えると人の価値観も驚くほど変わったと思います。商品もそう、買い物の仕方も然りです。宝石というものも、景気がいい時は財産として買い求めて、使用目的ではなく奥にしまい込んで持っておく買い方が多かったですね。石自体も『大きければいい』という価値観だったと思います。でも今は、ハイレベルなファッション性が求められます。安くても高品質。そんな商品が支持され、ブランドへと確立している時代なので、本来であればある程度値段が付くものも安く手に入れて、気軽に手頃に、日常で楽しまれる方が増えたように思います。」
 全国各地、また東京都内でも販売経験のある高野さん。栃木の地域性についてもお話しを伺った。
「中心地の宇都宮に関してですが、地域性を重視しているお店が多いと思います。ただ、どうしても選択肢という点から言えば都内などには叶いません。そこが一番のネックではあるんですが、売れ筋商品の情報は全国に一斉に流れてくるので、『栃木には合わない』などと売る側の都合で決めるのではなく、もっとタイムリーにたくさんの商品が流通されるように活気が出ればすごくいいと思うんです。物販を扱う経営者の姿勢が、もっとお客様に失礼がないように、たくさんの選択肢の中から最新の商品を選べるようになることが、理想なんだと思います。」



■24カラット プラス「1」

最新の売れ筋情報や、流行にも敏感でなければならない。以前勤めていた会社の同僚達ともコンタクトを取りながら、商品の流れを常に押さえるようにしているという高野さん。
「そんな小さな努力を重ねながら、私が一番目指していることは会社を大きくすることとか、スタッフを増やすとかいうことではなくて、常にお客様のために、愛されるお店作りをすること。その純粋な思いで突っ走って来ました。。」
 高野さんは、取材中に何度も、「いつも感謝の気持ちを忘れないで、お客様に喜ばれるお店作りのために、努力をし続けたい」と語った。
「いいものを安く、という願いから『365日卸売価格』というコンセプトを掲げています。ジュエリーの楽しみ方を理屈抜きでこれからもお伝えしたい、その気持ちはずっと変わりません。『今日はいつもと違うね』とか、『そのネックレス似合うね』とか、そんなちょっとした日常使いのジュエリーが人を輝かせる、幸せを感じる瞬間を味わって欲しい。経営理念とか、利益とかも大事だけど、私にあるのはまず、その気持ちです。」
 会社名である25KARATには、高野社長の思いが込められている。金の純度の最高レベルを表す24K。そこにプラス1を加えて25KARAT。そのプラス1カラットに、最高のサービスであったり、笑顔であったり、そんな付加価値をプラスできる会社でありたいという意味だ。
 宝石という物販に際し、お客様のために、今できることは何か。高野さんはいつも、プラス1の答えを追い求めている。

| パーマリンク | | 2009.11.27 |

vol.100 有限会社エヌ・エステクニカル 代表取締役 森田 健太さん

メイドインジャパンを世界へ。
熟練工の魂が作り上げた部品の一つ一つが、
日本ブランドの価値を、今一度呼び起こさせる。
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■祖父の遺言に導かれて


祖父は鹿沼で、ホットカイロに使用する鉄粉を造る仕事をしていた。昭和34年、高度経済成長の波に乗って、製造業へと以降。そんな祖父にいつも言われていたことは、「いずれ俺の会社はお前に継がせる」という言葉だった。
 鹿沼の(有)エヌ・エステクニカル、代表取締役の森田さん。元々都内で、ホテルマンや不動産の仕事に従事していた。そんな折り、祖父の死の知らせを受ける。奇しくも祖父の命日が、森田さんの誕生日と重なった。
「その頃やっていた不動産業も波に乗っていたので、かなり迷ったんですけど、これは何かの啓示だといたく感じまして、製造業に転職することを決めました。」
とはいうものの、右も左も分からない未経験の業種。まず最初に職業訓練の「NC旋盤コース」を受講する。半年間猛勉強を重ね、プログラム通りにものが出来ていく面白さを実感した。その後経験を重ね、24歳である自動車部品メーカーの求人に応募、半年間勤務した。
「その頃は景気が良かったので業界自体は好調でしたが、自分がものづくりの世界で、どこまで出来るか試してみたくなったんです。」
 祖父が遺してくれた古い機械を全て出し、3人体制でスタートした。同業種で会社を経営していた叔父もかなり協力してくれた。
「祖父が亡くなってしばらく経ってその偉大さに気づいたんですけど、有り難いことにうちの顧客の半分は祖父の代からのお客様なんですね。最初は叔父なんかに、2〜3割の技術は教えてもらって、残りの7割くらいは試行錯誤しながら、自己流でした。」
失敗を何度も繰り返しながら、徹夜で少しずつ歩を進めていった。夜中に帰宅し、深夜3時に再び気になって工場で作業を再開することも度々あった。徐々に実績が認められ、3〜4年後には信頼を得るようになった。
「段々欲がでてきたんですね。人も機械も投入して、もっと大きくできるんじゃないかと。その頃叔父の会社が『超微細加工』で成功していたので、うちも真似てみようと手を出したんです。」
ところが結果は、1年ほどやって失敗に終わった。数千万円のマイナスが出た。
「でも諦めてはいけない、と原点に戻りました。叔父にも叱咤激励されましたね。」
 復活を祈って次に着目したもの、それが、現在のエヌ・エステクニカルの核となっている「難削材(なんさくざい)」だ。
「字の通りやりにくい材質なんで、他社が嫌がる部品なんです。でもうちはそれに着目して、研究を重ねて製造を可能にしました。自信を持って、各種難削材を造っている、と言えるようにまでなりました。」




■若手へ伝承される、熟練の技


「悔しかったことといえば、若さがネックになることでした。20代の頃は信用してもらえないことも多かったです。今は逆にそれを強みにすることも出来ますが、今に見てろ…と思いながら、がむしゃらに頑張ってきました。」
 今、エヌ・エステクニカルを支えているのは、若さだけではない。その対極にあるのは、昔からの熟練の腕を持つ60〜70代の職人達だ。
「職人の皆さんにはマニュアルはない。全て経験値から成るものです。それってすごいことですよね。現場では熟練職人と、20代の若手が組んで仕事をしています。」
 当初は困難に思えたこの組み合わせが、今、功を奏している。若い新しい発想と古くからの高い技術力が融合して、製品レベルも、効率の面でも結果が出た。
「時代が変わりこのコラボレーションが本当に上手くいくようになったんです。数年前は休憩時間も各自バラバラに取っていましたが、今では休みまでみんな一緒(笑)。世代を超えて、それだけ息も合っているってことですよね。」
 今は、「見て覚えろ」という徒弟制度的な時代ではない、と森田さんは語る。
「そういった昔ながらの頑固職人的な教え方だけはやめてくれ、と言ってます。同じ会社のチームメイトなんだから、知識や技術は共有するべき。60代の熟練工に、23歳の若い社員が技術を教わっている、いつの間にかできるようになっている事実が現場で実践されているんですよね。そんな光景を見る度に本当に嬉しい。細かい製造における力加減を密に教わっているんです。勤務が終わったら世代の離れている社員同士で夜釣りに行ったりもしている(笑)、笑っちゃうような事実なんですけど、コミュニケーションを取りつつもそうやって、ハイレベルな技が伝承されていることを誇りに思います。」
 そんなエヌ・エステクニカルの求人募集広告には「楽しいものづくり」というキャッチコピーが使われるようになった。
「昔は社内の雰囲気が、受身だったんですよね。でも今は違う。社員間の雰囲気も改善されて、提案型に変わりました。こうした方がいいんじゃないか、という現場の声がやがて、小さな町工場を企業へと発展させていくはずです。」



■見直されるべき、ジャパンブランド

「以前、インドの方で日本製の血圧計を買いに来られた方がいました。中国や東南アジアなど、世界には製造業で台頭してきた国は多くある、でもやっぱりナンバーワンは日本製だと。にもかかわらず秋葉原全体を探しても、メイドインジャパンの商品は見つからなかったそうです。発注は日本なのに、多くの製品がメイドインチャイナや、メイドインベトナムなんですよね。海外での製造製品は確かに安い、でも性能では日本製に勝てる物はないと、海外の方は口を揃えて言うわけです。なんだか我々日本人の感覚は間違っているんじゃないかと痛切に感じた経験がありました。」
 メイドインジャパン、それだけで海外ではブランドの価値がある。純正の日本製品が少ない、その事実を改めて突きつけられた。ものづくりに携わっている者である以上、その現実を見過ごすことは出来なかった。
「弊社は鹿沼の小さな工場ですが、メイドインジャパンの精神を忘れてはいけない。会社のキャッチコピーにも、『メイドインジャパンを世界へ』と入れることにしました。この言葉に外国の方はすぐ反応してくれます。それから、高度経済成長期に育まれた職人気質を忘れてはいけないですよね。日本人が忘れかけている、安売りしすぎる傾向にあるこの価値を創ってきたのが、当時第一線で活躍して、今は60代以上になっているかつての職人達です。こういった職人の立ち位置をもっと大事に確保していかねばならないと思います。」
 品質、デリバリー、コスト。この3つの柱を万全に保持しておく、それがエヌ・エステクニカルが守り続けてきたもの。60代以上の現場職人達は言う。昔はドリルも研磨機もなかった。だが日本人は手先が器用で細かい作業に長けた気質で、ハイレベルで細密な要求に応えてきた。
「実際に、うちの現場の職人達はマニュアルがなくても、相応の細かい機械がなくても、要求のレベルが高い部品も今ある道具で造ってしまうんですよね。その熟練技のすごさには、未だに驚かされます。」
「刻々と状況が変わってきて、今、製造業関連の工場が急速に衰退している現状があります。でも、メイドインジャパンの安売りはしてはいけない。世界がこれだけ評価しているんだから、本物であることは間違いないんです。」
 鹿沼の町外れにその工場はある。少数精鋭の工場で作られている部品の納入先には、名だたる大企業が名を連ねる。トレイに並べられた部品は鈍い光りを放ち、陳列されていた。メイドインジャパンのプライド。その小さな町工場は今、業界でも注目される存在となっている。


(有)エヌエステクニカルのHPはこちらです
http://www.nst-jpn.co.jp/

| パーマリンク | | 2009.11.02 |

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