Top > > Vol.96 有限会社高林堂 取締役店主 和氣 幸雄さん

Vol.96 有限会社高林堂 取締役店主 和氣 幸雄さん

菓子屋に生まれた宿命、菓子屋が果たす使命。
店主が守り、受け継いできた熱き職人魂が、
起死回生のヒット商品「かりまん」を生んだ。
korindo.jpg



■父は、頑固一徹の菓子職人
菓子作りよりも、人作りが息子の最初の難題だった


「かりまん」というお饅頭をご存じだろうか。そのお菓子は、毎日限定3000個だけ製造。夕方になる以前におよそ売り切れてしまう。しっとりとしたあんを包む厚みのある生地は、かりんとうのようにカリカリとした食感で、美味しさを倍増させる。
 この「かりまん」を名物にしたのは、創業120年を迎える、宇都宮の老舗の菓子庵「高林堂」。昭和58年、病で他界した父の跡を引き継いだのが、和氣社長である。
「私の父は、仕事に対して非常に手厳しい人で、菓子作りに関して頑固一徹な職人でした。高校生の時、部活で映画部を選んだらえらく叱られましてね。毎週末、家の手伝いをしていました。お菓子を配達しているところを同級生なんかに見られるのが嫌でしたね(笑)。」
 神経質で持病も持っていた父。昔ながらの徒弟制度ということもあり、若者が何人も修行で来ていたが、厳しい職場ゆえ一人辞め、二人辞め、誰もいなくなってしまった。
「私はその時、ちょうど名古屋の方でセールスの仕事に就いていたんですが、呼び戻されました。売上げ的には、今の20分の1くらいしかなかったと思います。社員も誰もいなくなってどうしよう…とどこから手を付けていいのやら分かりませんでした。」
 その後15年間くらいは苦労の連続。客足も全く入らなくなっていた。
「自責の念にかられましたね。そこから少しずつ、実家が菓子屋だという息子さん達が修行に来るようになり、人を雇い始めました。徐々に人の質も高まってきたように思います。」
「お菓子を作るよりも、まずは人作り、と私は考えています。その頃は中学を卒業してすぐに、菓子作りの世界に入るのが一般的でしたから、まだまだ『働く』という意識の薄い少年達をいかに教育をしていくか…今だから言えるけれど冗談でなくて、若い社員に工場に火を付けられたこともあったんですよ。幸い消し止められはしましたが、教育にはとにかく、頭を悩ませました。」



■かりまん誕生

平成19年に海道店がオープン。
「1店舗で年間1億の売上げを…とスタートさせました。オープン3日間は売上げも良かった。しかし5月の節句が終わる頃になると、売上げは急降下しまして、眠れない夜が続きました。まあ、社長がそんな弱気では駄目なんで悩みましたけど、色々と皆さんの意見を聞いてみたんです。何が駄目なのか、何が問題なのか…。」
 浮上してきた回答は、まず敷居の高さ。高級店という印象がぬぐえず、頻繁に足を運びにくいとの意見が出た。
「そこからは、いかに皆さんに愛される手頃なお菓子を生み出せばいいか…と必死で考えました。そこで出来たのが『かりまん』です。福島に『かりんとうまんじゅう』というのがあるんですが、それを参考にさせてもらったんです。開発の中心は私の息子が担当しました。」
 1日限定3000個。どんなに要望があっても、これ以上は作らない。かりまんは、その日のうちに食べてもらうことが重要だからだ。日が経つにつれ、一番の売りである「カリカリ感」が失われてしまう。
「小さいわりにひとつ100円もするし、しかも饅頭なのにカリカリしている。消費者のニーズに合っていないなど散々言われましたが、私も息子も、これは必ずヒットする!という確信に似た自信の中で、開発を進めました。」
 予想を超え、かりまんは空前の大ヒット。宇都宮の銘菓として、高林堂の名をより一層認知させる大きなきっかけともなった。
「土日には、海道店において実演販売も行っています。とにかくやれることは何でもやって、このかりまんには賭けていました。」



■社会から評価され、
認知され、必要とされる菓子屋へ

和氣さんには、40代より始めた遅咲きの趣味がある。体力作りの一貫として始めたアユ釣り・海釣り・ルアーだ。
「これまでは余暇やレジャーなんてものはなく、とにかく突っ走って来ました。40過ぎて、また自分の息子が菓子作りに励むようになってようやく、自分の時間を持てるようになったと言えるかもしれません。幼い頃から常に家業を見て育ち、いそしんできましたから、『遊ぶ』という感覚はあまり持ち合わせていませんでした。」
 亡き父からの教えの一つに、「質素倹約」というのがある。
「うちのようなお店は、正に庶民の皆さんの懐からお金を頂いている。だから絶対に、分不相応な身なりや遊びはするな、というのが父の教えでした。菓子屋だというのに、違和感を感じさせるようなものを身に付けるな、と言われてきました。」
「社会に必要とされる企業になれというのも、教えの一つでした。必要だと言われる人や企業しか生き残れない。私も今の立場になってみて、本当にそう思いますね。やっぱり人間にとって、『あなたが必要だ』と言われることが一番の幸福と言えるでしょう。」
 菓子屋の朝は早い。毎日早朝4時、5時には起床し、工場に入る。奥様においては、社員の朝ご飯も作るそうだ。今も社長自ら、毎日500個〜600個の手作り菓子を作るという。そして、菓子作りの講師として、各セミナーや教室に招かれる場合も多い。
「今年で私も還暦を迎えます。こんな形ででも、社会に何らか貢献できたらいいなと考えているんですよね。」
 和氣さんにとって、菓子屋とはという質問をしてみた。
「労働対価として楽な商売ではないです。でも、能力を活かすステージとしては、自分には合っていた。業界で40年。お陰様でか、お菓子をセールスしたことは一度もありません。有り難いことに、大手のデパートさんからオファーをいただくまでになりました。そんな社会的な評価を受けていることが今は嬉しいし、幸せだと心底感じています。」
 商店の価値は、消費者が決めると、和氣さんは語る。
「今日作った物は、今日売る。だから朝早く起きて働く。それが我々の宿命だと思っています。能力の高い人間ではないから、とにかく出来ることをやっていかないと叶わないからなんです。襟を正して、どう生きてきたのかが一番大事。能力の差は努力でいくらでも埋められます。愚かで悲しいことは、自分の社会的能力が分からないことではないでしょうか。」
 取材場所に、小型のワゴンで自ら運転して来られた和氣社長。おそらくその車は配達にも使用されるのだろう。社長の車というよりは、小回りの利く利便性の良いものだ。
「車にもあまり執着はないんです。一番印象的だった車の思い出は、40年ほど前に、高林堂で初めて軽自動車を購入し、それで配達に出かけた時のことですね。軽のバンに乗れることが嬉しくてね。うちもこの車に乗せられるだけのものを運べるお店になったんだなあという実感が、ハンドルを握る手にもふつふつと湧いてきて…嬉しかったですねえ。」
 取材中にも何人ものお客さんが、かりまんを求めに来店される。売り切れとなっても、客足が途切れることはない。「心を満腹にするお菓子作り」という、高林堂が目指していた在り方は今実現し、菓子作りに賭ける精神と共に、世代を超えて脈々と受け継がれる。

| | 2009.07.01 |

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.visual.co.jp/cms/mt-tb.cgi/2066

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

staff blog

営業チームリレーブログ 外勤営業スタッフがリレー形式で更新しているブログです。
制作チームリレーブログ 制作・編集スタッフがリレー形式で更新しているブログです。
内勤事務系ブログ 内勤事務系スタッフがリレー形式で更新しているブログです。
ママブログ ビジュアルワーキングマザーによるリレーブログです。

popular contents

仕事道場
惚れ惚れする仕事をするアドバイス。
ジョブ人
輝いている栃木の働く人をピックアップ!
ショットガン
我が社のイチ押し社員をご紹介します。
NONのグレートジャーニー
ノンちゃんの旅先紹介コーナー。
勝手にロックンロール
仕事探しの一休み。音楽紹介コーナー。
キッズフォトコーナー
可愛い子供たちの笑顔でいっぱい!
ツレヅレジンセイコバナシ
就活の合間のひとときに、
超小市民的こばなしをどうぞ。
王子様達のブランチ
グルメ王子の未知なる料理開拓記。