ターニングポイントは、名古屋・3年間の荒修行。
「部品商のプロ」としての健全なプライドが、
現在、経営者として企業を支えている。

■郷に入れば郷に従え名古屋での3年間
「とにかく名古屋での3年間で、自分の性格も人生も、180度転換したと断言できますね。」
宮パーツ(株)の入谷専務。淀みなく発せられる言葉のイントネーションとリズムは、故郷・宇都宮のものではなく、独特な異彩を放っている。
専門学校は経営学を専攻。ただ学生を続けるにあたって、早く世の中に出て、実践の中で勝負を始めた方が良いのではないかという考えが湧いた。元々家業であった宮パーツ(株)にいずれは入社する決心はあったが、現社長である父親のすすめと自らの希望で名古屋にある同業のとある部品商の会社に修行に出る。それが20歳の時だった。
「自分の中でも、いきなり親の作った会社にすっと入るのではなく外の世界で見聞を拡げてから入社する方がいいのではという考えがあったので、名古屋に出向くことに躊躇はありませんでした。ただ、文化の違いには苦労しましたね。人も違うし、頼る人がいない。そして自分の言動・行動指針が100%、その土地での自分の行く末を決めていくものですから。」
愛知県・岡崎という土地は、他者を簡単には受け付けない、保守的な風土だと入谷さんは語る。
「なかなか、よそ者を受け付けてくれない感じがありました。最初は失敗もたくさんしましたよ。納品物を間違えた時、道具箱に伸びたお客様の手からいきなり部品が投げ飛ばされて、すぐに持ってこい!と怒鳴られたりだとか、キリがありません。そんな時に、忘れられない人に出会いました。」
入谷さんが担当する顧客の中に、なかなか口を聞いてくれないお客様がいた。ただ、会社を通して注文だけは入るので、何度か納品には出向いていた。ある真夏の暑い日、15時の休み時間に訪問した入谷さんに、その店主は初めて口を聞いてくれた。実は以前から、入谷さんが部品屋の会社の息子で、名古屋に修行に来ていることなどを知っていた。
「いい会社に修行に来ているわけだから、しっかり勉強しろよ」
と、その店主は言った。そして、口を聞いてくれたなかった理由を話してくれた。
「まず、地域の人間にならなければいけないと言われました。話をしてくれなかった理由は、私がその店主のことを『社長』と呼んでいたからなんです。関東ではいいけど、東海地方のほうだと、少数でやっている会社の主は『大将』って言うんだそうです。頑固な気質の方だったので、その呼び名じゃないと返事してくれなかったんですよ(笑)。目からうろこが落ちる出来事でした。それからは、向こうの人間になるように努力しました。だから言葉も未だに、名古屋仕込みなのかもしれませんね。」
■利便性と迅速性を最大限に確立し、仕事の成果を共に分かち合う
宇都宮に戻ってからは、最初の3年間は身内といえど、一般社員で勤務した。そして28歳の時に課長となり、各店舗で店長を務め、立て直しを図り、最高売上げ実績を上げることも出来た。
「要はやり方とやる気です。市場はあるわけですから、店長として必要なことは各営業マンに仕事の成果を味合わせることです。だからこそ同じ目線で一緒になって、目標を達成しなければならないんです。」
「部品商として一番大切なことは、お客様との人間関係の構築ももちろんですが、何はともあれ『利便性と迅速性』に尽きます。この二つの要素が抜群に備わっていれば、価格は二の次になる。だから、お客様から呼ばれれば『気が利いて早い』と思ってもらえるように、最大限努力しましたし、そう教えてきました。」
実際に、各店舗で最高売上げを記録した時は、「これまでやらなかったことを、今年はやり遂げよう」とスタッフ全員を鼓舞するところからスタート。そして、「一人で全てをやろうとするな」と指示した。
「人間一人で出来ることは限られていることをまず知ることも重要です。実際、私はたくさんの人に支えられて何とかここまでやってきた経験があり、そのお陰で気質も変わりました。もしあのまま劇的な変化もなく、世間知らずのお坊ちゃんだったら、上手く行かなかったことだらけだったと思っています。」
■品商のプロという
健全なプライド
「経営者という立場に立つと、また見える世界がガラッと変わりました。途中で投げ出すわけにはいかない。そして立ち止まってはいけないプレッシャーがあります。常に前進あるのみ。止まることなく、進みながら考えなければならないんです。」
会社を運営するという社会的責任、多くの社員を抱える雇用の責任、社員の生活を守る責任。
「そして、前進するのは経営者だけでなく、社員にも同じように前を向いてもらわなくてはならない。この、『全員が前を向く』というのが難しく、課題でもあります。それから、部品商としては地域性を掴み、地域との交流を深め、供給する自動車部品が地域社会の運営に一役買っていることにもなるわけですから、そういった意味でも社会貢献意識を強めていきたいですね。」
最後に、求める人材像についてお話を伺った。
「人材教育においては、頭を悩ませているところでもあるんですが、最近は特に、コミュニケーションが上手く取れない若者が増加しているように感じます。とにかく、会話が弾まないんですね。『個』が確立されすぎて、相手を思う想像力も興味も欠如しているから質問も生まれない。疑問が生まれて質問を投げかけるだけでも会話は生まれます。当社のテーマは当分は教育となりそうです。社員を育てていくという、重大な責任があります。」
「一番大切にして欲しいことは『働く』ということにおいての基本の考え方です。『働く』という志を持った社会人として、飛び込んで欲しいですね。会社で給料をもらうには、もうプロなわけです。そして時間がかかったとしてもプロを目指し、極めなければなりません。弊社で働くならば、真の『部品商のプロ』としての適切なプライドを持ち、それを磨く努力を一緒に出来る人材が理想ですね。」
経営者として社員のため、部品商として地域社会のため、様々な形態の「責任」を負いながら、妥協は一切許さず、ぶれない。そこにはトップで運営する者としてのプライドがある。
宮パーツ(株)は今、「部品商」から総括的なサービスを目指せる「トータルカーアフタービジネス」へ転換を図っている。
| パーマリンク | | 2008.11.30 |
職業、ピッツァヨーロ。
一枚のピッツァを焼くことが
仕事であり夢であり、そして人生でもある。

■栃木で初めて「真のナポリピッツァ協会」に認定されたイタリアンレストラン
「真のナポリピッツァ協会」という組織がある。この協会の発祥はイタリア。古くからあるピッツァ職人の家系継承者より数名、およびナポリで最も有名なピッツェリアのうちの数軒からなる、熱心な友人達16名で発起された。1984年7月に創立。2004年には、イタリア政府からの公認を受けた。この協会は日本支部も存在しており、国内においては、ナポリピッツァの啓蒙活動を担うことになっている。
この協会から「真のナポリピッツァ」を継承すると認可されているのは、日本国内に現在わずか28店舗。鑑定士の試験をパスしたピッツァ店だけが、認められる。
熱源が薪であること、小麦粉と水と塩と酵母のみを使ったピッツァであること、トマトやチーズなどは品質の基準を一定に保つ…などハード面をクリアした上で、伝統的な製法と技術で焼かれているかなどの試験をクリアしたお店にだけ、与えられる栄誉ある称号である。
宇都宮市下栗町にオープンして1年、ピッツェリアトラットリア アロマデルソーレの金子オーナー。
「この認定審査を受けようと思ったのは、まず自分がピッツァ職人としてやっていることが正しいのかどうかを判断してもらうためでした。『現地と同じだ』と言われた時は、嬉しかったですね。」
ランチやディナーも満員の人気店。素材へのこだわりと味には定評がある。
「僕の名刺の肩書きには〈ピッツァヨーロ〉とあります。直訳すると【ピッツァ職人】という意味。本場イタリアでは認知度のある立派な一つの職業なんですけど、日本ではまだまだ認知すらされていない。いずれ日本でも、【ピッツァ職人】という肩書きが認められればいいな、と願っています。」
料理の片手間にピッツァを焼くのではなく、ピッツァを焼く専門職としての認知と確立だ。
「そんな人がもっと増えればな、と。そのため現在も教育しているような状況です。」
元々、サッカーや映画好きだったこともあり、イタリアは興味の対象となる国だった。仕事に就くとしたらフード業界だろう、という漠然とした願いがあった。パン屋、レストランを経て、サービス業の経験を積み重ねた。
「うちのスタッフにも、例え将来的に厨房での仕事を目指していたとしても、最初はサービスとしてのホール係を任せるんです。サービスとは何たるやを知らないと、独立の時にも困りますから。それから、柔軟な心である若いうちからでないと、サービスには向かないと思うんです。」
■好きな粉、好きなチーズ、好きなトマトで焼くピッツァ
「独立を志したきっかけは…やはり、制限無く自分の味を追求し、表現したかったからです。元々おたく的な要素があるので(笑)、とことんこだわってしまうんですよ。食材や調理器具一つにしてもそう。お店の内装も、建築家と相談しながら作り上げました。」
何よりも、美味しい「真のピッツァ」ありき、であるためまず薪釜を中心に据え置く設計に仕上げた。
「本当は、知る人ぞ知るというお店が良かったんです。郊外でポツンとやっているようなお店を最初は想定していました。とにかく僕は、好きな粉、好きなチーズ、好きなトマトで満足の行くピッツァを焼くことが一番やりたいことだったので。でも今は逆に、料理の方も出来るだけ現地の味に近いものでご提供できれば…と考えています。」
質を下げたら、自分で経営している意味がない。新作ピッツァも続々と登場している。現在種類は20通り。お客様の意見を取り入れて、新作が誕生する場合も多い。
「確かに利潤追求も大事なんだけど、でも珍しいパスタが出てきたらお客様だってワクワクするでしょう…作る方も同じなんです。あと、完成した料理をお出しした瞬間の、お客様のリアクションが嬉しい。オーダーを受けたとしても、それぞれこちらでアレンジ出来るのも個人店の強みですよね。」
サービスに対するこだわりについても伺った。
「未経験でも経験有りでも、どちらもOK。でも一番嬉しいのは、実際に食べに来てもらって味に惚れ込んで、『是非ここで働きたい』と思ってもらうこと。今いるスタッフの中にもそんな仲間が何人かいて、料理人冥利に尽きますね。」
「基本的にサービスのやり方はマニュアルなどもないし、伸び伸びとやってもらっています。働くスタッフが楽しい!と感じられるお店じゃないと、意味がないと思うので。最低限の接客マナーなどはもちろん守らせますが、サービスの技術的な部分って、いくら教えても本人の心が変わらなければ身に付かないと思うからです。まず何事も自分で気付かないと真から改善はされないですよね。」
■自信と誇りを持ったスタッフと料理とサービスを楽しむお客様でお店は創られる
将来的な展望について伺った。
「店舗展開とか、お店自体を大きくしていく気持は今はないです。それよりもまず、ピッツァ職人(ピッツァヨーロ)たちのチームが出来あがればいいなと思います。」
「レストランとは、栄養補給をただするための場所ではない、と是非感じていただきたいなと思います。スタッフも実はお客様も、そのお店を形作る役割を担っている。お客様の役割はずばり、『楽しむ』こと。だから敷居が高いと思わずに、気軽に利用いただきたいです。」
アロマデルソーレのスタッフにも、それぞれの役割がある。そして一人一人の名刺には、確立した肩書きがイタリア語で表示されている。「デザート担当」「コック」「サービス担当」「サービス責任者」などだ。
「自覚と誇りを持って働いて欲しいから、名付けました。それから、自分が惚れ込んだお店で働いているという自信があれば、良い料理と空間と、時間も提供できると思うんですよね。」
各自が各々の役割を果たし、お店のカラーを作り上げている。好みによっても変幻自在な表現が込められた逸品の数々は、来る人を魅了し続ける。
「とにかくピッツァを焼いていたい」。金子さんには、そのシンプルな答えがある。そして今度は、宇都宮のこの地で、「真のピッツァヨーロ」として地域の人達から認知されつつある。
| パーマリンク | | 2008.11.30 |
プラス発想の福祉社会へ
イメージが変われば、「好循環」は機能し始める
そして未来はもっと、生きやすくなる

■他者への理解をベースにしたケア
「ちょうど福祉に興味を持ち始めたのは、高校生の時くらいでしょうか。」
鹿沼の粟野にある、特別養護老人ホーム粟野荘。周囲は自然で溢れる静かな環境だ。今回は副施設長の金田さんにお話を伺った。
「1980年代のその頃というのが、福祉にスポットが当たり始めた時で、身体障害者や高齢者の問題に社会全体が取り組み始める先駆けの年代だったんですね。私も興味を持ち、大学も福祉分野を専攻しました。人と接することが嫌いではなかったし、人のために役立つ仕事というのもいいなと思いました。」
東北福祉大学に進学。卒業後は2年間、知的障害者の施設に勤務。
「以前は‘精神薄弱’という呼び方が一般的だったのですが、現在では‘知的障害’という呼称に変わりました。そこでの2年間はとても勉強になりましたね。いろんなタイプの人がいるんだなと思いました。」
体の大小にかかわらず発達には個人差があり、各個人の心身の状態を把握した対応が必要とされた。
「例えば知的障害になったきっかけが、産まれて間もない頃の熱病が原因の方もいらっしゃいました。この方もこういうアクシデントがなければ普通に生活をなさって、子の親になられていたのかな…と、やはり人対人ですから、駆け出しの頃はふと思いを巡らせることも多かった気がします。」
昭和63年より粟野荘に転職。生活指導員としての仕事がスタートした。生活指導員というのはマルチな仕事で、当時は事務もこなせば場合によっては入居者の方々の入浴に従事することもあった。忙しかったが充実した毎日だった。
「認知症と知的障害は、似ているようで全く違うものです。認知症の方は獲得されていた能力が衰えていきますが、個人差があるにせよ残存機能があります。以前、担当していた利用者を病院へ連れて行ったことがありました。認知症においては重度の方だったんですが、待合室で隣に座って待っていると、テレビ画面にニュース速報が流れました。そこに映し出された漢字を、その方がすらすらと読み始めたんです。え、こんな難しいのも読めるの?という感じで…。ちょっとした出来事だったんですけど、このエピソードはすごく記憶に刻まれています。」
他者への理解という点において、獲得されていた能力を認識した上で接することの重要性を体感した出来事だった。例え認知症ではあっても、潜在的に持っていらっしゃる力をきちんと理解し、こちらが認識する。その上でケアも成立するということを、金田さんは心に刻んだ
■何でも頼まれる相談員として
すぐに対応
「相談員というのは、ある意味では何でも屋ですね。こまごましたことも、家族並みに頼まれることが多い。長く接するほど、いい意味で慣れてくるから、利用者の方にとっても長く勤務していくことがプラスに働くことが多いと思われます。」
忘れられないエピソードがある。いつものように、ある利用者の方に雑用を頼まれた。メガネの調子が良くないと相談を受けたのだ。
「相談をされたのが夕方過ぎだったため、じゃあ明日お店に行きましょうと約束をしたんです。けれど、その方はその日の夜に容態が急変し、脳梗塞で入院され、結局お亡くなりになられました。ああ、やってあげないと後悔することもあるんだな…と思いましたね。可能ならば、出来るだけその時早めに対応してあげるということを心がけていこうと、実感したんです。」
福祉関連の仕事に従事する上での気構え、心構えについて、お話を伺った。
「性格において人柄の良さは大事かもしれませんね。何とも定義しがたいですが…あとは、こういった仕事ですから根を詰めすぎると行き詰ります。ある程度のおおらかさは必要ですね。神経質すぎると先に進まないんです。それから応用力がある方は、福祉に向いていると思います。」
入居されている方への配慮はもちろん、働く人材も含めて大切にしていきたいと、金田さんは語る。対利用者、対仲間においても「人を大切にする精神」を忘れない人であって欲しい、というのが揺るがない希望だ。
「あまり難しく考える必要はないです。ただ、普通に気遣いが出来て、人当たりの良いことが最低条件。そしてスタッフ同士協力し合って、大変な時期も乗り越えて行きたいです。入居者が安心できる施設を目指していく方向は、時代が流れて枝葉の部分は変わったとしても、根本は変わりはしません。」
■プラスイメージの発想が出来る福祉へ
福祉という分野においても、次世代の担い手不足が問題になっている。後継者が不足していると共に、スタートしてもなかなか「持たない」ことも問題の一つだ。
「もっと福祉に関して、ポジティブな見解を持って欲しい。もちろん、マイナスな事実はたくさんあります。医療介護の問題とか、重労働・低賃金の問題など、でも報道のあり方にも問題はあると思うんですよね。マイナスな部分を取り上げるのも報道の一つですが、そこばかりクローズアップされても今度は逆に弊害も出る。大変・キツイというイメージが植えつけられてしまっているんです。大事なこと、いいこともたくさんあるだよ、というメッセージも同時に届けて欲しいですよね。」
粟野荘でも、地域ぐるみでの取り組みに尽力している。各種のイベントや祭りをオープンに行ったり、地域の学校との交流会なども定期的に実施されている。
「これらの取り組みも、イメージを改善するためには事業者レベルでは追いつかない。国や県のレベルでも、是非取り組んで欲しいなと思います。」
医療崩壊、福祉崩壊が叫ばれている現在。日本が十分な福祉が受けられない状態に陥れば、胸を張って先進国とは言えなくなってしまう。
「行政が中に入ってくれた分、整備された部分も大いにありますが、以前の福祉はもう少し、ゆとりがあったような気がしています。ある意味緩やかだったというか…昔ほどスタッフの異動も激しくなかったですし、定着率も良かった。ギスギスしているとミスにもつながりかねない。そして一般の理解がネガティブ過ぎる傾向もありますから、失われたものもあると思います。」
「賃金も低い…というイメージがあると思いますが、的を得ている部分とそうでない部分がある。多くの施設でボーナスは2度支給がありますし、全体を見てもいい部分もたくさんあります。でもそこが見えなくなってきているんですよね。人が集まらないとゆとりがなくて、更に悪循環の連鎖が生まれる。こういう仕事だからこそ、好循環をもっと作っていかないといけません。」
粟野荘を訪れた時、外観を撮影していると何人ものスタッフさんに声を掛けられた。何か御用ですか、誰か呼んできますか…と、そこには利用者の安全を守ると同時に、他者への理解と共感、協力、コミュニケーションという人としての基本ベースを思い起こさせる行動があった。人に興味を持ち、認め、理解をするということ。そんな基本もままならない社会の構造がある。安心・安全な社会における好循環。この「好循環」という輪を作り出す責任を、深く考えさせれたインタビューとなった。
| パーマリンク | | 2008.11.30 |
ホテルにとっての「信用」、スタッフ同士の「共感」。
二つの命題と共に日光湯西川の老舗ホテルは、
歴史とサービスの灯火を刻んでいく。

■熱意だけでは通用しない長く、険しい、信頼を重ねる道のり
日光湯西川にある、老舗の名館「伴久ホテル」。平家一門が逃れた地に続くこのホテルは、何と創業290年。現在のご当主は平家直孫25代目になり、その息子さんが常務取締役である伴さんだ。
■大学卒業後、入社した会社は熱血営業を売りにする商社だった。
「積極セールスがその会社の社風で、商品よりも自分の熱意を買っていただく、そんな毎日でした。そこに二年間お世話になって、家業である旅館に入ることになったんです。」
旅館に戻ってきたものの、仕事の質の違いに戸惑い、違和感を感じた。
「お客様が今まで出会ったことのない‘一生懸命さ’を短時間で表現する‘セールスマン’という仕事。かたや、夕方ご到着されて翌朝お帰りになる、ほぼ一日という長い時間の中で成果を求められる宿の仕事。いい印象を持ってお過ごし頂くという緊張感の持続がポイントだと、失敗を経験して学びました。」
そんな中、ホテルマンとしての「信頼」を体験した、貴重なエピソードがある。
「正月に三世代でお泊まりいただいたお客様がいらっしゃいました。普段の正月は伊豆の旅館にお泊まりらしく、最高級のおもてなしも知っている、サービスに厳しい方でした。」
受付で施設の説明をしている際、そのお客様の最初の言葉が「カラオケで遊べというのか」の一言。
「娯楽はカラオケだけか、とちょっとからかわれた節がありました。もちろんそれだけではないのですが(笑)。このお客様の‘期待’に対して、私の‘誠意’を伝えよう。そう決めました。三泊四日のご滞在の期間、お過ごしになる場所は全て事前にチェック。アレルギー等でお召し上がりになれないものを伺ったり、ご滞在中の観光事業情報の御相談に乗ったり、気分良くお過ごしいただくよう精一杯‘気持ち’をお伝えしました。
そして最後の夜、伴さんへの言葉遣いが一変し、敬語に変わった。
「いい正月だったと感謝の言葉も頂きました。そんな事を期待せず行動していたので正直驚きました。誠意は伝わるもんだなと、感動しました。お客様の‘気持ち’を感じた夜でした。」
そのお客様はその後数回、20名ほどのご友人をお連れして、ご宿泊いただいているという
■いつでも、昨日とは違う今日になる
「お客様とのやり取りが、一番の勉強の場でした。圧倒的に多い客層は団塊世代です。この世代のお客様の特徴は知的好奇心が強く、教養が高い、ということ。高山植物の名前や、今まで訪れた観光地、お茶、お花、歴史等々…色んな話題を振られます。次は絶対に失礼の無いよう、本を通じて色々な知識を学びました。」
温泉、接客サービス、インテリア、和食、学ぶことは膨大だった。旅行雑誌も全国約60冊以上読破した。
「お客様から見た‘宿屋のせがれ’って何だろう。お客様が感じる‘いいサービス’って何だろう。高級レストランに足を運んでみたり、繁盛している居酒屋に行ったり、お客様が楽しそうに話す旅館に泊まってみたり…。自分の中の引き出しを増やすことが仕事と思って、勉強しました。」
現在、社内の教育体制に力を注いでいる。定期的に開かれる勉強会や、シチュエーションごとのロールプレイングも実施されている。
「この仕事には、答えがありません。そして、季節、年齢、お連れになるお客様の顔ぶれによっても対応は変わります。同じ事の繰り返しでは通用しない、昨日とは違う今日を迎える。退屈することは決してない刺激的な毎日です。」
■そのサービスの灯は人の心をあたたかくする
「自分たちは何を売っているのだろう、と思うときがありました。浴衣をお貸しして、お食事をお摂りいただいて、お風呂に入って、眺めもご覧頂く、更にお泊まりいただかないとお金を頂戴できない。衣食住全てを提供して、印象を形作ります。つかみどころがあいまいで、何年やってもハードルの高い仕事だとやりがいを感じています。」
新人が入社した時に必ず話すこと。それは、
「一番喜んでもらえるサービスは、正確である」
という話だ。
「お客様のご要望を正確に理解する。べたべたするサービスはあまり受け入れられない。短時間で雰囲気を感じる、本当に難しいことですが、これが一番大切です。」
そして命題になっているのは、「期待を裏切らないこと」。
「お客様の目がますます厳しくなっています。更に本物志向になってきた証でしょう。」
今年創業290年を迎え、伴久ホテルは、大きな踏み出しをかけようとしている。
「働くスタッフに対して、お客様が期待するのは‘優しい気持ち’です。前歴や経歴は関係ありません。多くの求職者とお会いするのを楽しみにしています。」
取材が一段落し、離れのVIPラウンジで撮影許可を頂いた。木の香りがほのかにくすぐるその広い空間は、ゆったりと寛げるよう、庭の緑が鮮やかに映え、こだわりの家具や照明に彩られた心地よい施設になっている。静かな佇まいが静寂を醸し出している。
「この離れをご利用するために、リピートする方もいらっしゃいます。」
嬉しそうに語る伴さんの横顔には、ある種の達成感が感じられた。
ウェルカムドリンクの種類の多さ、女性に嬉しい選べる浴衣
300種、そして浴衣を着た上での写真撮影サービスなど、館内には至るところに、伴久スタッフの心遣いが息づいていた。
撮影時も、宿泊のお客様へご迷惑がかからぬよう、インカムで分刻みの連絡を取り合うスタッフ達。そうしたハートのある心遣い一つ一つが積み重なって、荘厳な歴史と現代風なスタイルの融合と共に、日光湯西川の奥地にひっそりと息づく伴久ホテル。宵闇の中にポッとともる灯りのように、お客様の思い出の中にも心地よいサービスの数々が、記憶として灯るのだろう。
| パーマリンク | | 2008.11.30 |
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